今朝のぐるんとびーのミーティングは、ある利用者さんの暮らしをきっかけに、タイトル通りのテーマを議論していた

その方は、つながりを感じられない「寂しさ」が原因で深酒をしてしまうことがある。時には1日1リットル近く飲むことも。
お酒を飲むこと自体は個人の自由。でも、それが「好きで飲む」のではなく「埋められない寂しさ」から来ているとしたら、話は変わってくる。

深酒の結果、痛風が悪化して体調を崩し、歩けなくなり、ベッドから立ち上がれなくなって、おむつ交換が必要な状態にまでなってしまう。(普段は要介護1)
そして、また体調が戻ると同じことを繰り返してしまう……。

「介護保険は、寂しさを埋めるために使うものなのか?」

精神的な面だけ、つまり寂しさを埋めることだけを目的とするならば、それは介護保険の適用外(インフォーマルな領域)になるのかもしれない。
介護保険の本質は「何でも屋」ではなく、自分でできることは自分でするという「自立支援」にあるはず。

しかし、ジレンマがある。
自立支援がうまくいき、その方が自分で洗濯や掃除をこなせるようになると、僕たちが訪問する回数は減っていく。
彼にとって、支援の量が減るということは、皮肉なことに「他者との接点が少なくなり、つながりを感じる機会がさらに希薄化してしまう」ということにもつながる。

地域のつながりがあるかというと、介護利用する前から、元々ぐるんとびーとは繋がっていたけど、他はない。
「自立」を目指して支援を減らした結果、逆につながりの薄さを感じ、また寂しさからお酒に手が伸びて、生活が崩れてしまうとしたら。
どこを目指していくとよいのか。

「酒」への依存を減らすために、ぐるんとびーへの依存をあえて増やすのか。
寂しさを埋める場所は、介護保険「以外」の場所に、今から、どうやって作っていけるだろうか?
「制度の枠組み」と「目の前の人の孤独」。
その狭間で、ただ作業をこなすのではない

その人の暮らしをこれからも模索し続けないとなー。
まちにスナックが必要だー。。。

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