北村 記一

訪問看護ステーション所属/理学療法士
東京都豊島区出身。AB型。てんびん座。


「遠回り組」
だからこそ、継続力と
忍耐力を持って。

北村さんの理学療法士への道のりは決して平坦ではありませんでした。機械メーカーでの経験から始まった彼の遠回りな人生が、どのような強さを彼にもたらしたのでしょうか。

私は新卒で介護の現場に入ったわけではなく、いわゆる「遠回り組」でした。中学・高校のときに、家で母が祖母の介護する姿を見て、介護福祉の分野に興味を持っていましたが、大学は東京農業大学の農業工学科に進学し、大学卒業後は機械メーカーに設計として就職しました。就職先では新卒で営業に配属され、2年経っても希望の設計に行けなかったこともあり、退職をしました。
退職後は、かねてから興味があった介護福祉や医療の道に進もうとしましたが、20年前は介護・医療業界に携わる男性がまだまだ少数で、父からは反対されました。父は、母が祖母を介護をしていた姿を見て、介護の道が大変であると心配してくれていたのだと思います。
しかし、実際に大学を出て仕事に就くと、勤務時間が9〜17時だとしても、人生で多くの時間を仕事に費やすことになります。だからこそ、「自分は何がしたいのか」「どんな職業であれば自己実現できるのか」という点で『仕事の選択』はとても大切だと強く感じました。
福祉人材センターという福祉版のハローワークに相談に行ったところ、私の知識不足と大幅に年収が下がることを心配されて、「福祉人材センターの事務相談員の非常勤枠が空いてるから、そこで仕事をしながら考えてみたら?」とオファーをいただきました。
そのオファーを受けることにして、非常勤の事務相談員とバイトを掛け持ちして、学費を稼ぐ生活を2年間続けました。そして26歳の時に「30歳までになれれば」と考え、夜間の理学療法士の専門学校に、昼間はリハビリ助手の仕事をしながら4年間通いました。
専門学校卒業後は、縁があって湘南にある病院に入職しました。サーフィンがしたくて湘南か千葉で働きたかったのです(笑)。その病院は、神奈川最大の200人規模のリハビリテーション部があり、かなりハードな職場でした。そのような環境で、3年目に新人の指導担当になり、5年目で病棟のリハ責任者を任されました。その後、7年目で主任になり、そこから8年勤務したので合計15年勤めあげたことになります。厳しい職場で15年間勤務することで、継続力や忍耐力はかなり身についたと思います。
そんな中、ぐるんとびーへの転職を決意しますが、きっかけは何年も前からぐるんとびーの菅原代表から「いつか、ぐるんとびーを手伝ってほしい」というお声がけをもらっていたことでした。

理学療法士として
「できない理由」を
探していた。

菅原代表との出会いが、北村さんにどのような気づきをもたらしたのでしょうか。東日本大震災での代表の行動が、彼に与えた衝撃とは何だったのでしょうか。

菅原代表とは、以前勤務していた病院での同僚でした。お互い異業種から来たというキャリアの共通点もあり、サーフィンにも一緒に行く関係でしたが、彼が新人教育をしている最中に東日本大震災が起こりました。
「行く!」と彼はすぐさま病院を退職し、何もかも捨てて東北に災害支援に飛び込んで行きました。私も同じ立場にいながらそれができなかっただけに、彼の行動力に驚きと羨望の念を抱いたことを今も忘れません。
菅原代表が東北から帰ってきてからは、勤務していた病院で講演をしてくれましたが、そのときの彼からは、あふれる自信と「やり遂げた男のオーラ」みたいなものを発していて、別人のように見えました。
その後も菅原代表のSNSの投稿を見るたびにエネルギッシュな内容に刺激を受け続けました。『夜中のラーメン』は最たるものでしたね。そんな彼の投稿を見ながら、自分は理学療法士として「できない理由」を探していることに気付きました。
本来リハビリは、できることの支援や「どうしたらできるか」を考えないといけないのに、自分の考え方は違ったのです。病院時代は、リハビリと言いながらもリスク管理に偏重し過ぎていたため「不整脈があるからベッドで寝ていてください」「転倒しちゃうから歩かないでください」ってできない理由を探すように「患者さんがなぜ転ぶのか・何が危険なのか」に焦点を当てた評価・介入をしていました。
一方で、菅原代表は「どうしたらできるか」にフォーカスしています。同じリハビリテーションをしていたはずなのに、考え方が違ったのです。自分に染み付いている考えと、菅原代表の考えの違いを実感したくて、ぐるんとびーに行くことを決めました。

訪問看護を足がかりに、
ぐるんとびーの
特性を活かせる組織へ。

ぐるんとびーでの北村さんの役割とは何でしょうか。そして、彼が目指す心理的安全性の高い組織とはどのような姿なのでしょうか。

2021年4月にぐるんとびーに入職してからは訪問看護ステーションに配属になりました。正直、菅原代表がSNSで発信する「キラキラした部分」よりも、泥臭いところだったり、訪問看護の事業所として足りない部分をメインに、経営面の立て直しを行っています。

菅原代表は常に色々なことを考えていて、彼の閃きによってチームが方向転換をしたり、スピード感を持った業務が求められることがありますが、それを「不安定」と捉えるスタッフも少なからずいます。そこをしっかり伴走し、支えるために心理的安全性の高い組織にしたいと思っています。

ぐるんとびーのスタッフは、本当に人が良く、真面目で優しいスタッフが多いです。だからこそ、不安定さに耐性がないとも思っているので、そのギャップを埋めることができたら、もっといいチームになると思っています。

ぐるんとびーは『訪問看護ステーション』『小規模多機能型居宅介護(以下、小規模)』『看護小規模多機能型居宅介護(以下、看多機)』の3つ事業を有しております。

例えば、『看多機』スタッフは「泊まり」も支えるため、生活に寄り添う視点を持っています。一方で訪問看護のみの関りでは、生活の視点が弱くなり易く「機能面を捉える」視点に陥りやすいため、『看多機』スタッフからのアドバイスによって、包括的な関りができる可能性が高まります。

他の事業所の利用者さんにも一緒に関わることができるぐるんとびーの特性を活かした訪問看護を早く作りたいと管理者の田中くんとも話しながら取り組んでいます。専門性の異なるスタッフ間同士の対話やスタッフ交流の機会を増やして連携を強化していきたいですね。

いつか故郷の岐阜にもぐるんとびーを作りたいと思っています。

地元の友人から「よい介護施設はないか」と聞かれることがありますが、「あの環境なら、あの人たちがいる場所なら絶対に最期まで幸せに暮らせる」とは答えられないため、地元にもぐるんとびーが必要だという想いが日に日に増しています。しかも、ひとつやふたつ作れば足りるという話ではないので、全国にぐるんとびーモデルを広げていきたい。それも、私たちスタッフの使命かもしれません。

ただ私はまだまだ修行中です。まずは介護スタッフとして日々のケアを深めることが、私の取り組むべき課題であり、伸びしろだと思っています。この地域で一緒に暮らしている人たちの笑顔を守りつつ、全国にこの素晴らしい輪を広げていきたいです。

北村さんの歩み

他業界の企業への勤務を経て、社会人になってから理学療法士の専門学校に通い、そこから神奈川県内の病院に約15年勤めた北村さん。現在はぐるんとびーで理学療法士として訪問看護(リハビリ)を行いながら訪問看護事業のマネジメントも担っています。

北村さんの1週間

朝はスタッフと利用者に関するミーティングをおこない、日中は訪問看護(リハビリ)を軸に、随所で管理者ミーティングや経営ミーティングなど、ぐるんとびーの経営に関わる会議や、他の事業との連携のための会議に参加しています。

機械メーカーから理学療法士への転身という「遠回り」を経験した北村さんは、15年間の厳しい病院勤務で継続力と忍耐力を身につけました。

菅原代表との出会いを通じて「できない理由」を探していた自分に気づき、「どうしたらできるか」にフォーカスする価値観へと転換しました。

現在はぐるんとびーで訪問看護の経営面を支えながら、心理的安全性の高い組織づくりに取り組んでいます。

異なる事業所間の連携を活かした包括的なケアの実現を目指し、スタッフが安心して働ける環境の構築に力を注いでいます。

INTERVIEW

ぐるんとびーで活躍する
スタッフのインタビューです。

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